[No.77]ノーベル物理学賞は「量子もつれ」の研究者が受賞、奇怪な現象を実験により確認したことが評価される、量子情報科学の発展を支える
2022年のノーベル物理学賞は「量子もつれ(Quantum Entanglement)」という現象を実験で証明した研究者三人に授与された。
量子もつれとは、二つの量子(物理特性の最小単位)が離れていても、両者の動きは連動しているという現象を指す(下のグラフィックス)。二つの量子が遠く離れていても、この現象が起こり、光の速度を超えて情報が伝達することになる。
アインシュタインはこれを「奇怪な動き」と呼び、量子物理学は不完全な体系であるとの論文を公開した。
三人の受賞者
アインシュタインを中心に議論が続く中、三人の科学者は実験により、量子もつれという現象が起こっていることを証明した。
受賞者はアメリカのジョン・クラウザー(John Clauser)博士、フランスのアラン・アスペ (Alain Aspect)教授、オーストリアのアントン・ツァイリンガー(Anton Zeilinger)教授(下の写真)。
クラウザー博士は量子もつれを実験で証明し、アスペ教授は実験方法を改良し、ツァイリンガー教授は量子もつれを情報工学に応用し、「量子テレポーテーション(Quantum Teleportation)」と呼ばれる送信技術を考案した。
受賞の意義
アインシュタインは量子もつれを「奇怪な動き(spooky action at a distance)」と呼び、量子力学は未完の体系で、この理論は正しくないとする論文「EPR Paradox」を他の研究者と共に1935年に発表した。
これ以来、量子もつれについて議論が続いてきたが、受賞者はこれを実験で証明し、この奇怪な現象が起きていることを示した。
直感では理解できない物理現象であるが、量子もつれは量子コンピュータや量子通信の基礎技術として幅広く使われており、ノーベル賞の選考委員会は、この実験が量子情報科学の発展に寄与したことを評価した。
量子もつれとは
量子もつれとは、二つの量子が連携した状態で、極めて特異な動きをする性質を指す。
量子はランダムに動くが、二つの量子が量子もつれの状態となると、その挙動が同期する。例えば光の最小単位である光子(Photon)が、量子もつれの状態になると、二つの光子が同期して動く。
一つの光子が縦方向に偏向すると、他の光子も同じ方向に偏向する。まるで二つの量子が見えない糸で繋がっているかのような挙動を示す(先頭のグラフィックス)。
隠れた変数理論
量子もつれは奇怪な挙動で、これを説明するために別の理論が提唱された。
これは「隠れた変数理論(Hidden Variables)」と呼ばれ、この奇怪な現象の背後には、分かっていない変数があるという考え方。量子もつれを、実験者が観測できない変数を導入して、この挙動を説明する理論となる。
スウェーデン王立科学アカデミー(Royal Swedish Academy of Sciences)は、量子もつれという現象を、ボールを投げるマシンで説明している(下のグラフィックス)。
マシンには白と黒のボールが入っており、Bob(右の人物)が黒色のボールを受け取ると、Alice(左の人物)は白色のボールを受け取ったことが分かる。
隠れた変数は「色」で、量子もつれには「色」という変数が隠れており、これを観測できていないという理論。
量子力学の理論
これに対して量子力学(Quantum Mechanics)では、マシンに入っているボールの色は白と黒が混ざった灰色で、ボールを受け取った時点で初めて、その色がランダムに白色または黒色になるという理論(下のグラフィックス)。
Bobがボールを受け取ると、その時点でボールは黒色であることが分かる。この結果、Aliceは白色のボールを受けっとったことが分かる。
ベルの不等式
二つの理論が議論される中、両者の理論のどちらが正しいかを実験で証明することができるとの考え方が提唱された。
これは英国の科学者ジョン・スチュワート・ベル(John Stewart Bell)が1964 年に、提唱したもので、「ベルの不等式(Bell Inequalities)」と呼ばれている。
隠れた変数理論では、実験結果が特定の値(2)を超えないというもので、反対に、実験でこの値を超えると、量子力学の理論が正しいことが示される。
ジョン・クラウザーの実験
ジョン・クラウザーは、ベルの不等式の理論に基づき、量子もつれ証明するための実験を行った。
実験では量子として、光の最小単位である光子(Photon)を使った。
カルシウムの原子に特定波長の光を照射すると、二つの光子を量子もつれの状態にすることができる。二つの光子を二つのセンサーで偏光の方向を計測する(下のグラフィックス)。
計測を重ねることで、実験結果はベルの不等式の条件に反することが分かり、量子力学が正しいことが実証された。
アラン・アスペの実験
その後、アラン・アスペはクラウザーの実験精度を高め、量子力学の理論が正しいことを確認した。
アスペは量子もつれの光子を高速で生成する技術を開発し、また、センサーの設定を変えることで、システムは事前に結果に関する情報を得ていないことを証明した(下のグラフィックス)。
アントン・ツァイリンガーの研究
アントン・ツァイリンガーは量子もつれを応用した情報処理技術を開発した。
これは「量子テレポーテーション(Quantum Teleportation)」と呼ばれ、量子の情報を遠隔地に送信する技術である。これが今日の量子通信技術や量子セキュリティ技術で使われている。
EPRパラドックス
アインシュタイン(Albert Einstein)は、量子もつれは起こりえない事象だとして、同僚の研究者ボリス・ポドリスキー(Boris Podolsky)とネイサン・ローゼン(Nathan Rosen)と共に、この現象を検証した。
1935年、検証結果を発表し、量子力学は現実を記述するには完成された体系ではない、との解釈を示した。この考え方は三人のイニシャルを取って「EPR Paradox」と呼ばれている。
アインシュタインは、量子力学は自然界の現象を完全に記述するものではなく、統合した理論があるとの考え方を示した。
クラウザー博士の人となり
クラウザー博士は、カリフォルニア大学バークレー校(University of California, Berkeley)で長年にわたり研究に従事し、現在は、サンフランシスコ郊外のウォールナットクリークで活動を続けている(下の写真)。
地元テレビ局のインタビューで、実験開始のきっかけを明らかにした。クラウザー教授は、まず、ジョン・スチュワート・ベルに連絡し、ベルの不等式が破られていないことを確認し、実験に着手した。
その当時、実験は「アインシュタインの理論を覆す無謀な挑戦」といわれ、実験で量子もつれを実証できた時は「有罪判決から解放された気分であった」と述べた。無名の研究者が歴史上の人物に挑戦した構図となった。
量子情報科学の基礎
量子もつれを実験で実証したことは、現在開発が進んでいる量子情報科学へ道筋をつけたことを意味する。
量子もつれは、量子計算、量子通信、量子ストレージなどに応用され、特に、ハッキングできない安全な通信技術として社会に貢献している。
【参考情報:量子コンピュータで実行すると】
量子もつれ
量子コンピュータで量子もつれを生成し、その結果を出力すると、その挙動をビジュアルに理解できる(下のグラフィックス)。
これは量子プログラム開発環境「Qiskit」を使ったもので、量子コンピュータのゲート操作(上段)とその結果が表示(下段)される。
これはQubit[0]とQubit[1]に対するゲート操作で、二つのQubitを量子もつれにし、その結果が球体「Q-sphere」(下段右側)に示されている。
演算によりQubit[0]とQubit[1]のスピンの方向はどちらも下向き|11>であることを示している。
この演算を繰り返し実行すると、Qubit[0]とQubit[1]のスピンの方向はどちらも上向き|00>である確率が50%で、どちらも下向き|11>である確率が50%となる(下段左側のグラフ)。
つまり、量子もつれは、Qubitのスピンの向きは、常に同じ方向であることを示している。
量子テレポーテーション
量子もつれを応用した技術が量子テレポーテーションで、ある場所から別の場所に情報を送信するアルゴリズムとなる。
SF映画に登場するテレポーテーションは人や物が移動するが、量子テレポーテーションでは情報(Qubitの状態)を遠く離れた場所に移動させる技術となる。
量子テレポーテーションは量子もつれを応用した技法で、量子コンピュータでこの現象を実行できる(下のグラフィックス)。これは量子テレポーテーションのゲート操作で、三つのQubit(q0, q1, q2)を使う。
処理は左から右側に進み、ゲート操作を実行すると、q0の情報がq2にテレポーテーションする。ゲート操作でq1とq2が量子もつれとなる。
量子テレポーテーションは量子通信技術に応用され、ハッキングできないセキュアな通信として使われている。